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東京地方裁判所 平成2年(ワ)4712号 判決

第一事件原告・第二事件被告(以下単に「原告」という。) 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 高津戸成美

第一事件被告・第二事件原告(以下単に「被告」という。) 籠島澱粉株式会社

右代表者代表取締役 朝倉敏一郎

右訴訟代理人弁護士 山岡正明

同 白田佳充

同 岩崎茂雄

右訴訟復代理人弁護士 小暮清人

主文

1  第一事件につき、

(一)  被告は、原告に対し、六五〇万円及びこれに対する平成元年一〇月二四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  原告のその余の請求を棄却する。

(三)  この判決の右(一)項は仮に執行することができる。

2  第二事件につき、

(一)  原告は、被告に対し、三五〇万円及びこれに対する平成二年五月一一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  この判決の右(一)項は仮に執行することができる。

3  訴訟費用は、第一事件及び第二事件を通じてこれを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

(第一事件につき)

1 被告は、原告に対し、七二〇〇万円及びこれに対する平成元年一〇月二四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

(第二事件につき)

1 被告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

二  被告

(第一事件につき)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

(第二事件につき)

1 原告は、被告に対し、三五〇万円及びこれに対する平成二年五月一一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二当事者の主張

(第一事件について)

一  原告の請求の原因

1 被告は、昭和五六年三月、横浜地方裁判所小田原支部昭和五五年(ケ)第三四号不動産競売事件において、訴外杉本賢次郎所有の神奈川県小田原市《番地省略》宅地八三四・七四平方メートルほか二筆の土地(以下「本件競落土地」という。)並びに右訴外人所有の建物及び訴外農事組合法人神奈川養蜂組合所有の建物(これら二棟の建物を以下「本件競落建物」という。)の競落許可決定を受け、同年一一月、その代金九八一〇万八〇〇〇円を納付し所有権を取得して、その旨の所有権移転登記を受けた。

ところが、本件競落土地には訴外杉本マツヨ所有の建物及び訴外株式会社三恵物産所有の建物(以下「本件競落外建物」という。)並びに訴外株式会社三恵物産、同杉本マツヨ又は同株式会社三友フーズトレーディング所有の木造上家、軽量鉄骨造上家、焼却炉、変電所設備等の地上施設(以下「本件競落外施設」という。)が存在していたほか、本件競落建物は訴外株式会社三友フーズトレーディング及び同有限会社杉本産業が占有し、本件競落外建物及び本件競落外施設は訴外株式会社三友フーズトレーディングが占有していた。

2 原告(第一東京弁護士会所属弁護士)は、昭和五八年一二月、被告から、訴外杉本マツヨ、同株式会社三恵物産、同株式会社三友フーズトレーディング及び同有限会社杉本産業(これらの訴外人を以下「別訴被告ら」という。)を相手方として、本件競落建物及び本件競落外建物からの退去又は本件競落建物の明渡し、本件競落外建物及び本件競落外施設の収去、本件競落土地の明渡し並びに昭和五六年一二月一日以降の一か月当たり三五万円の割合による本件競落土地の賃料相当額の損害金の支払いを求めて、被告の代理人として訴えを提起し追行することの委任を受け、昭和五九年一〇月、被告の訴訟代理人として、本件競落土地及び本件競落建物の所有権に基づき、別訴被告らを相手方として、横浜地方裁判所小田原支部に前記のような請求を内容とする訴え(昭和五九年(ワ)第四四六号家屋収去土地明渡等請求訴訟事件)を提起した(この訴訟事件を以下「本件訴訟事件」という。)。

3 ところが、別訴被告らは、本件訴訟事件の口頭弁論期日において、本件競落土地又は本件競落建物の各占有部分毎に細分化された多数の借地契約又は借家契約に基づいてこれを占有しているものであると主張して、被告の請求を争った。

そこで、原告は、本件競落土地及び本件競落建物の別訴被告らによる占有状況、別訴被告らと本件競落土地又は本件競落建物の所有者であった訴外杉本賢次郎及び同農事組合法人神奈川養蜂組合の関係者との身分関係や別訴被告らの主張する借地契約及び借家契約の締結時期等の調査を遂げ、右借地契約及び借家契約が通謀虚偽表示による無効のものであることあるいは抵当権設定登記後に締結されたものであって被告に対抗することができないものであることなどを主張して、別訴被告らが執行妨害を企図するものであることを明らかにしようとした。

4 そして、別訴被告らと被告は、訴訟上の主張及び書証の整理が完了した平成元年九月一八日の第二八回口頭弁論期日において、裁判上の和解をすることとし、利害関係人として参加した訴外杉本暁(訴外株式会社三恵物産及び同株式会社三友フーズトレーディングの代表取締役)が本件競落土地及び本件競落建物を買い受けること、右利害関係人及び別訴被告らが被告に対して右土地及び建物の代金並びにその不法占拠による損害賠償金として合計二億四〇〇〇万円の和解金を支払うことを内容とする和解調書の作成をみて、本件訴訟事件はこれによって終了し、被告は、右同日、右利害関係人及び別訴被告らから二億四〇〇〇万円の和解金の支払いを受けた。

5 ところで、原告は、本件訴訟事件の提起、追行を受任するに際して、被告との間で、その報酬金の額について格別の合意をしたことはなかったが、被告は、右の際、原告に対して着手金として二五〇万円を、昭和六三年三月三一日に中間金名下に追加着手金八〇〇万円を支払ったほか、被告の代表取締役朝倉敏一郎は、前記裁判上の和解の成立をみた平成元年九月一八日、原告が「報酬は請求しますよ。」と念を押したのに対して、「どうぞ請求して下さい。」と返答し、これによって報酬金の額を原告の一方的な算定に委ねた。

6 本件訴訟事件は、前記のとおり複雑かつ困難なものであったうえ、原告は、その追行に必要な旅費、日当の大部分、訴状に貼付すべき印紙その他の費用を自ら負担し、また、昭和五七年六月二〇日から昭和六一年六月一九日まで栃木県乙山町の町長職にあったことによる多忙を顧みず、腹部大動脈瘤破裂、十二指腸潰瘍による大量出血等の病魔と闘いながら、被告のために本件訴訟事件を追行し、前記裁判上の和解によって、被告が期待していた以上の経済的利益を挙げたものである。

したがって、原告が取得すべき本件訴訟事件の委任の報酬金としては、例外的な事情があるときは依頼者が受けた経済的利益の三〇パーセントの範囲内で報酬金の額を増減することができる旨を定めた第一東京弁護士会弁護士報酬規則一八条二項の規定、依頼を受けた事件が特に重大若しくは特別の事情があるとき又は審理若しくは処理が著しく長期にわたるとき等には同規則の定めにかかわらず公正かつ妥当な範囲内で弁護士報酬を請求することができる旨を定めた同規則四条二項の規定に基づき、被告が前記裁判上の和解によって得た経済的利益たる前記和解金二億四〇〇〇万円の三〇パーセント相当額の七二〇〇万円とするのが相当である。

そこで、原告は、平成元年一〇月一二日に到達した書面によって、被告に対し、右報酬金七二〇〇万円を一〇日以内に支払うように催告した。

7 よって、原告は、被告に対して、本件訴訟事件の委任に対する報酬金七二〇〇万円及びこれに対する前記催告期限後の平成元年一〇月二四日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因事実に対する被告の認否

1 請求原因1及び2の事実は、認める。

2 同3前段の事実は認めるが、後段の事実は知らない。

3 同4の事実は、認める。

4 同5の事実中、原告が本件訴訟事件の提起、追行を受任するに際し被告との間でその報酬等の額について格別の合意をしたことはなかったこと、被告が原告に対してその主張のとおり着手金二五〇万円及び中間金名下に八〇〇万円を支払ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告が中間金名下に原告に支払った八〇〇万円は、報酬金に充てる趣旨のものであったと解すべきである。

5 請求原因6の事実中、原告が昭和五七年六月二〇日から昭和六一年六月一九日まで栃木県乙山町の町長職にあったこと、原告が被告に対してその主張のとおり報酬の支払方の催告をしたことは認めるが、原告がその主張のような疾病に罹患していたことは知らないし、その余の事実は否認する。

原告は、右の町長職にあったため、本件訴訟事件の訴訟追行に多大の支障を来し、口頭弁論期日にしばしば出頭せず、再三にわたって期日の変更又は延期の申立を行うなどしたのであって、その訴訟追行は必ずしも誠実なものではなかった。

また、第一東京弁護士会弁護士報酬規則一八条二項の規定は、事件の内容によって同条一項所定の報酬金の基準額を三〇パーセントの範囲内で増減することができる旨を定めたものであって、原告の主張する報酬金の算定は、その解釈及び右規則にいわゆる「経済的利益」の意義についての誤った解釈に基づくものである。

(第二事件について)

一  被告の請求の原因

1 被告は、本件訴訟事件の提起に先立って、次のとおり、別訴被告らを債務者とし、保証を提供して、不動産仮処分命令を得た。

(一) 横浜地方裁判所小田原支部昭和五七年(ヨ)第四一号不動産仮処分申請事件

債務者 保証金の金額

杉本マツヨ 三五万円

株式会社三恵物産 五〇万円

株式会社三友フーズトレーディング 一五万円

(二) 東京地方裁判所昭和五七年(ヨ)第五四八〇号不動産仮処分申請事件

債務者 保証金の金額

杉本マツヨ 二〇万円

株式会社三友フーズトレーディング 二〇〇万円

(三) 横浜地方裁判所小田原支部昭和五七年(ヨ)第一七五号不動産仮処分申請事件

債務者 保証金の金額

有限会社杉本産業 三〇万円

2 被告は、別訴被告らとの間で前記裁判上の和解の成立をみ、被告においては右各仮処分申請の取下げを、別訴被告らにおいては担保取消しに同意したことに基づき、原告に対して、右各仮処分申請事件についての担保取消決定の申立及び担保の取戻しを委任し、原告は、その頃、被告のために右申立及び所要の手続を行って、各関係法務局から前記保証金合計三五〇万円の返還を受けた。

3 よって、被告は、原告に対して、原告が委任事務の処理として受け取った右保証金三五〇万円の返還及び本件訴状が原告に送達された日の翌日である平成二年五月一一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因事実に対する原告の認否

請求原因事実は、すべて認める。

三  原告の抗弁

原告は、第一事件における主張のとおり、被告に対して、本件訴訟事件の提起、追行の受任による報酬金債権七二〇〇万円を有しているので、民法二九五条一項の規定に基づき、右債権の弁済を受けるまで、返還を受けた保証金三五〇万円を留置する。

四  抗弁事実に対する被告の認否

原告の主張を争う。

第三証拠関係《省略》

理由

第一第一事件について

一  請求原因1の事実(被告の本件競落土地及び本件競落建物の所有権取得の経緯、別訴被告らによるその占有状況等)、同2の事実(弁護士である原告と被告との間における本件訴訟事件の提起、追行についての委任契約の締結及び原告による右訴訟事件の訴えの提起)、同4の事実(本件訴訟事件が裁判上の和解によって終了し、被告が和解金二億四〇〇〇万円の支払いを受けることなど)並びに同5の事実中、原告が本件訴訟事件の提起、追行の受任に際して被告との間でその報酬等の額について格別の合意をしたことはなかったこと及び被告が原告に対して右訴訟委任に際して着手金として二五〇万円を支払ったほか昭和六三年三月三一日に中間金名下に八〇〇万円を支払ったことの各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  ところで、第一東京弁護士会弁護士報酬規則は、所属会員弁護士がその職務に関して受ける弁護士報酬の額等について順守すべき規則を定め、これによれば、民事訴訟事件の委任事務処理に対する弁護士報酬は、原則として事件の依頼を受けたときに支払いを受けるべき着手金及び依頼の目的を達したときに支払いを受けるべき報酬金とし、着手金については事件の対象の経済的利益の、報酬金については事件処理により確保した経済的利益の、一定の算定基準に従って算定した価額を基準としその多寡の段階に応じた所定の割合(着手金、報酬金とも同率)によって算定した額とするものとして定額化を図る(二条、一五条、一六条、一八条一項)とともに、事件の内容によって右の標準額を三〇パーセントの範囲内で増減することができる(一八条二項)ものとしている。

そして、原告の本訴請求は、結局、原、被告間においては本件訴訟事件の委任事務処理に対する弁護士報酬等の額について格別の合意がなされなかったにもかかわらず、当然に右報酬規則がそのまま本件にも妥当するものであるか、あるいは、原告と被告代表取締役との間での「報酬は請求しますよ。」「どうぞ請求して下さい。」とのやりとりによって報酬金の額が原告の一方的な算定に委ねられたものであることを前提としたうえ、着手金については既に支払いを受けた一〇五〇万円をもって決着済みであるとし、被告が前記の裁判上の和解によって別訴被告らから支払いを受けた二億四〇〇〇万円をもって右規則にいわゆる事件処理により被告が確保した経済的利益に当たるとして、右規則一八条二項の規定に準拠して、着手金とは区別された意味での報酬金として、その三〇パーセント相当額の金銭の支払いを求めるものである(もっとも、右規則一八条二項の規定は、事件の内容によって、同条一項所定の標準額を三〇パーセントの範囲内において増減することができるものとしているに過ぎないのであって、原告の主張は、右条項についての独自の見解に基づくものというほかない。)。

三  しかしながら、前記弁護士報酬規則は、所属弁護士に対しこれに依拠して依頼者との間で弁護士報酬に関する契約を締結することを義務づけているにとどまるのであって、本件におけるように、弁護士報酬について当事者間になんらの合意がない場合にも当然に依頼者を拘束する規範性を持つものではないことはいうまでもなく、また、弁護士報酬につき右規則に従って算定することが事実たる慣習となっているものと認めるべき資料もない(右規則の定めるような依頼者の受ける経済的利益を基準とした弁護士報酬額の定めは、依頼者にとって必要な弁護士報酬の算定や予測を容易にし弁護士を利用しやすくすることに資する反面、本来弁護士報酬と対価関係に立つべき当該事件の処理に必要な労力・費用・知識・経験等又は当該事件の処理の難易・新奇性等と依頼者の受ける経済的利益とは即応するものではなく、右のような定めに従い難い事例の少なくないことは、つとに指摘されているとおりである。)。また、原告は、その本人尋問において、被告代表取締役との間で前記のようなやりとりがあった旨を供述するけれども、この一事をもって被告がその支払うべき報酬金の額を原告の一方的な算定に委ねたものとすることもできない。

したがって、被告が原告の本件訴訟事件の委任事務処理に対して支払うべき弁護士報酬(広義のもの)の額の算定に当たっては、右規則及びこれによって算定した弁護士報酬の額を参考資料とすべきではあるとしても、それにとどまることなく、本件訴訟事件の性質及び難易、係争物の価額又は当該訴えが依頼者にもたらす経済的利益又は訴額、原告が事務処理に要した時間・費用・労力の程度等の諸般の事情を審究して、当事者の意思を推定し、相当な報酬額を算定すべきものと解するのが相当である。

そうすると、右規則にいわゆる弁護士報酬の着手金と報酬金(狭義のもの)との区別あるいは被告が中間金名下に原告に支払った八〇〇万円が右のいずれの支払いのためであったかは必ずしも重要ではなく、結局、被告は、原告に対して、右のようにして算定した相当な弁護士報酬額から既に支払済みの合計一〇五〇万円を控除した残額の弁護士報酬額を支払う義務を負うものに尽きることになるものというべきである。

四  そこで、以上のような観点に立って、被告が原告の本件訴訟事件の委任事務処理に対して支払うべき相当な弁護士報酬の額の如何について検討する。

(一)  本件訴訟事件における訴えの内容は、先に説示したとおり、本件競落土地及び本件競落建物の所有権に基づいて、別訴被告らに対して、本件競落建物及び本件競落外建物からの退去又は本件競落建物の明渡し、本件競落外建物及び本件競落外施設の収去、本件競落土地の明渡し並びに昭和五六年一二月一日以降の一か月当たり三五万円の割合による本件競落土地の賃料相当額の損害金の支払いを求めるもの(《証拠省略》によれば、受訴裁判所が認定した右訴訟事件の訴額は、一八三〇万七一八六円であることが認められる。)であり、当事者間に争いがない事実によれば、別訴被告らは、本件競落土地又は本件競落建物の各占有部分毎に細分化された多数の借地契約又は借家契約の存在を主張し、これに基づいて右土地及び建物を占有しているものであるとして抗争していたものであるというのであって、その主要な争点は、別訴被告らが被告に対抗することのできる借地権又は借家権を有するのか、それとも単に執行妨害を企図するものであるに過ぎないのかにあったものである。

(二)  そして、その後の訴訟経過についてみると、《証拠省略》によれば、次のような事実を認めることができる。

(1) 本件訴訟事件は、昭和五九年一〇月に提訴されて以来、平成元年九月一八日の口頭弁論期日において前記裁判上の和解により終了するまでの間に約五年を要しており、この間、三八回にわたって口頭弁論期日が指定されたが、そのうち一〇回の期日は変更されるか取り消され(原告の申請又はその事情によるもの五回、別訴被告ら訴訟代理人の申請によるもの三回、職権によるもの二回)、実施された口頭弁論期日においても、原告は、六回の期日に出頭せず、それ以外の期日においても延期が繰り返され、結局、原告が訴状を陳述するに至ったのは、提訴後二年以上を経過した後の昭和六一年一一月一三日の第九回口頭弁論期日においてのことであった。

そして、このように手続が異例に遷延するに至ったことの一因は、原告が昭和五七年六月二〇日から昭和六一年六月一九日まで栃木県乙山町の町長職にあって(この事実は、当事者間に争いがない。)多忙を極めていたほか、原告が昭和六〇年三月七日から同年四月一九日までは腹部大動脈瘤破裂の治療のため入院し、昭和六三年一月一九日から約二か月間は十二指腸潰瘍による大量出血の治療のため入、通院し、さらに、平成元年五月一八日から同年六月三日まで吐血、意識障害等の原因の精査のために入院するなどして、その健康が勝れなかったという不幸な事態にあることを否定することができない。

(2) 原告は、この間、戸籍謄本、商業登記簿謄本等によって別訴被告らと本件競落土地又は本件競落建物の所有者であった訴外杉本賢次郎及び同農事組合法人神奈川養蜂組合の関係者との身分関係等を調査し、あるいは、別訴被告らの主張する借地契約及び借家契約の締結時期や内容等、別訴被告らによって提出された賃貸借契約証書等の調査を行って、昭和六二年二月五日の第一〇回口頭弁論期日から同年一一月五日の第一五回口頭弁論期日までの期日において、数通の準備書面を準備して、別訴被告らの主張する借地契約及び借家契約の存在を争い、あるいは、それが通謀虚偽表示による無効のものであるか又は抵当権設定登記後に締結されたものであって被告に対抗することができないものであることなどを主張し、概ね当事者双方の主張整理が完了するに至った。

(3) ところが、受訴裁判所は、昭和六三年四月一五日の第一六回口頭弁論期日以降においては、当事者双方に和解勧告を行い、最終的には平成元年九月一八日の第二八回口頭弁論期日において、前記のとおりの内容の裁判上の和解が成立するに至ったものである。

原告は、この間、不動産鑑定士に依頼して、借地権又は借家権の負担のないものとしての本件競落土地及び本件競落建物の価額が合計約二億九八〇〇万円であるとする鑑定評価書を証拠として提出し、他方、別訴被告らも、借地権又は借家権の負担のあるものとしての本件競落土地及び本件競落建物の価額が合計約一億八六〇〇万円であるとする不動産鑑定士の鑑定評価書を証拠として提出するなどして、和解の交渉が行われ、双方が妥協した結果として、利害関係人として参加した訴外杉本暁(別訴被告らの一部である訴外株式会社三恵物産及び同株式会社三友フーズトレーディングの代表取締役)が本件競落土地及び本件競落建物を買い受け、右利害関係人及び別訴被告らが被告に対して右土地及び建物の代金及びその不法占拠による損害賠償金として合計二億四〇〇〇万円の和解金を支払うことを内容とする和解調書の作成をみて、被告は、右同日、右利害関係人及び別訴被告らから二億四〇〇〇万円の和解金の支払いを受けたものである。

(4) 被告は、以上の全過程を通じて、原告に対して、弁護士報酬として前記の着手金二五〇万円及び中間金名下の八〇〇万円を支払い、また、東京・小田原間の片道鉄道旅費一回分を負担したことがあったほかは、訴状に印紙を貼付して納付すべき本件訴訟事件の訴えの手数料(九万九六〇〇円)を含めて、一切の費用を負担したり支出したことはなく、原告は、これらの費用を自弁して本件訴訟事件の委任事務処理に当たったものである。

(三)  次に、以上に認定した事実関係を前提として、試みに前記第一東京弁護士会弁護士報酬規則に準拠して、原告による本件訴訟事件の委任事務処理に対する弁護士報酬の額を試算してみると、同規則によれば、前記のとおり、着手金については事件の対象の、報酬金については事件処理により確保した、各経済的利益の価額を基準とするものとされ(一五条)、所有権の経済的利益の額は対象たる物の時価により、期間不定の継続的給付債権の経済的利益の価額は七年分の額により、それぞれ算定すべきものとされている(一六条)。

そして、先ず、着手金の算定については、右規則には、本件訴訟事件のように事件の対象(訴訟物)が所有権そのものではなく、所有権に基づく引渡(明渡)請求権である場合の経済的利益の価額の算定の基準に関する定めや訴訟の付帯の目的となっている請求の取り扱いについての定めはなく、仮にこれを民事訴訟における訴額算定の実務の例に準ずる(所有権に基づく引渡(明渡)請求権については、目的たる物の価額の二分の一とし、付帯の目的となっている請求の価額は合算しない。)ものとすれば、結局、本件訴訟事件の対象の経済的利益の価額は、本件訴訟事件の訴額と同額の一八三〇万七一八六円に過ぎないことになり、また、本件競落土地及び本件競落建物の時価を競落代金九八一〇万八〇〇〇円とし、本件競落土地の賃料相当額の損害金について右規則の定める継続的給付債権の例に従うものとしても、本件訴訟事件の対象の経済的利益の価額は、七八四五万四〇〇〇円となり、前者によれば着手金の標準額は約一二七万円、後者によれば着手金の標準額は約四〇〇万円と試算される。

次に、報酬金(狭義のもの)については、被告は前記裁判上の和解によって和解金として二億四〇〇〇万円の支払いを受けたものの、それは単に所有権に基づく引渡(明渡)請求権の実現としてではなく、本件競落土地及び本件競落建物を売り渡してその所有権を喪失したことに対する対価の収受をも含むものであって、右和解金の全額を直ちに被告が本件訴訟事件の事件処理によって確保した経済的利益に該当するものということはできず、その一義的かつ的確な算定は必ずしも容易ではないが、ここで仮に借地権又は借家権の負担のあるものとしての本件競落土地及び本件競落建物の価額を前記鑑定評価書に従って合計約一億八六〇〇万円であるものとすると、被告が本件訴訟事件の事件処理によって確保した経済的利益の価額は、多くとも右和解金二億四〇〇〇万円から右土地及び建物の価額を控除した残額の五四〇〇万円となり、これによれば、報酬金の標準額は約三〇〇万円と試算される。

そして、先に説示、認定したような本件訴訟事件の性質、訴訟経過その他の諸事情に照らすと、本件訴訟事件の処理が前記弁護士報酬規則が標準的なものとして想定するもの以上に重大又は複雑であるということはできず、必ずしも右規則一八条二項の規定によって着手金及び報酬金の標準額を増額するのを相当とするような案件であるとは考えられないが、仮に右条項を適用したとしても、着手金は最高五二〇万円、報酬金は最高三九〇万円となるに過ぎない。

もっとも、前記弁護士報酬規則に従って本件訴訟事件の委任事務処理に対する弁護士報酬の額を一義的に算定することは不可能であって、これらの試算結果は、いずれにしても、あくまで参考資料のひとつにとどまるものというべきである。

(四)  以上のとおり、本件訴訟事件は、係争土地及び建物の占有関係その他の事実関係の調査や整理には労力を要するものの、格別に新奇又は困難な法律問題を含むものではなく、実務上しばしばみられる類型の紛争にかかるものであること、本件訴訟事件の審理には約五年を要していて、この種の類型の事件としては異例に長期化しているが、この間必ずしも実質的な審理が継続して行われた訳ではなく、概ね当事者双方の主張整理が完了したばかりであって、未だ人証の取調べも行われないままに、和解勧告のための期日が重ねられ、裁判上の和解の成立をみて終局したものであること、本件訴訟事件の審理が長期化した一因は、原告の個人的事情にあることを否定できないこと、他方、原告は、本件訴訟事件の訴えの手数料を含めて、その提起、追行に必要なほとんどの費用を自弁して本件訴訟事件の委任事務処理に当たったものであること、本件訴訟事件の受訴裁判所及び係争物件は、いずれも原告の事務所の所在地から遠隔の地にあって、原告は事実調査及び口頭弁論期日への出頭のために多大な時間、費用及び労力を費やしたことが窺われることなどの本件訴訟事件の性質や訴訟経過に被告が原告の本件訴訟事件の処理によって受けた前記のとおりの経済的利益及び前記弁護士報酬規則に従った弁護士報酬の額の試算結果を総合して勘案すると、被告が原告の本件訴訟事件の委任事務処理に対して支払うべき相当な弁護士報酬(広義のもの)の額は、一七〇〇万円とするのが相当である。

五  したがって、被告は、原告に対して、右弁護士報酬一七〇〇万円から既に支払済みの弁護士報酬合計一〇五〇万円を控除した残額六五〇万円及びこれに対する催告期限後の平成元年一〇月二四日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある(原告が平成元年一〇月一二日に到達した書面によって被告に対し一〇日間の期限を付して報酬金の支払いの催告をしたことは、当事者間に争いがない。)。

第二第二事件について

一  請求原因事実は、すべて当事者間に争いがない。

二  原告は、本件訴訟事件についての報酬金債権七二〇〇万円を被担保債権として返還を受けた保証金について留置権の主張をするけれども、民法二九五条一項の規定の趣旨に照らすと、そもそも受任者が委任事務の処理として受け取ったような金銭は右条項にいわゆる「他人の物」に該当するものとは解されないから、原告の右留置権の主張は失当である。

三  したがって、原告は、被告に対して、原告が委任事務の処理として受け取った保証金三五〇万円を返還し、これに対する本件訴状が原告に送達された日の翌日である平成二年五月一一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

第三結論

以上によれば、第一事件における原告の被告に対する請求は、弁護士報酬六五〇万円及びこれに対する平成元年一〇月二四日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるので、その限度においてこれを認容し、その余の請求は失当であるからこれを棄却し、第二事件における被告の原告に対する請求は、すべて理由があるからこれを認容することとして、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条及び九二条、仮執行の宣言については同法一九六条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 村上敬一)

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